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電気科学館について

大阪市立科学館の前身は、1937(昭和12)年3月、四ツ橋にオープンした大阪市立電気科学館です。1989(平成元)年5月に閉館し、大阪市立科学館にバトンタッチするまでの52年間、「四ツ橋の電気科学館」「四ツ橋のプラネタリウム」と呼ばれて大阪市民に親しまれた施設でした。

1.電気科学館誕生まで

開館当時の電気科学館

電気科学館は、大阪市電気局が電気供給事業10周年の記念事業として計画した施設です。初期の建設計画案によると、館内設備は美容室、大衆浴場、大食堂、スケートリンクという内容で、電気利用のショールームとして考えられていました。その後、建物の建設と並行して、電気の原理と応用に関する展示物を陳列する展示場とプラネタリウムを設置することが決定され、1937(昭和12)年3月13日にオープンしました。

2.プラネタリウム

カール・ツァイス社製Ⅱ型プラネタリウム。
1960年代

電気科学館の6階は「天象館」と名づけられたプラネタリウムホールでした。18メートルの丸型天井(ドーム)を持ち、その中にドイツのカールツァイス社製のⅡ型プラネタリウムが設置されました。この装置は、肉眼で見ることができる約9,000個の星を投影し、さらに地球上のどの地点における星空でも再現できる機能、さらには過去から未来までの星空を再現できる機能も持っていて、当時の科学技術の粋を集めた装置でした。
電気科学館のプラネタリウムは、世界で25番目の導入といわれ、国内では初めてお目見えしたものです。

3.電気館

開館当時の3階「電力電熱館」

電気科学館の2階から5階までは「電気館」という名称の展示場で、電気知識の教育や電気応用の技術を紹介する装置が陳列されました。
開館時の施設は、2階はテレビ電話や真空管類などを陳列した弱電無電館、3階は発電所模型や電熱乾燥機模型などを置いた電力電熱館、4階は各種照明装置を展示した照明館、5階は電気の原理を解説する展示を置いた電気原理館という内容でした。
他の科学博物館で見られるような歴史的な展示は行なわず、電気の原理や応用技術といった科学の基本と最新知識の紹介に特化した未来志向の展示スタイルは、当時の日本では見られなかったもので、電気科学館が日本最初の科学館といわれるゆえんとなっています。

4.戦後の科学館

人気者だったロボット「スター君」(左)と「ライト君」(右)。1979年撮影。

第二次世界大戦が始まった後も電気科学館は営業を続けましたが、1945(昭和20)年3月の大阪大空襲により科学館の一部が焼けてしまいました。幸いプラネタリウムは無事でしたが、避難してきた付近の住民の受け入れなどのため営業は不可能な状態となり、そのまま終戦を迎えています。
戦後は、1946(昭和21)年2月にプラネタリウムが再開し、星空を投影したあとアメリカ映画を上映する「星と映画の会」が始まりました。電気館も無事だった展示を整備した上で、一部分を学校などの希望団体に公開したのを手始めに、徐々に体制を整えていきました。そして社会が安定してくると、一般市民に加えて学校団体、さらには大阪を訪れた修学旅行生も多数来館する人気スポットとなっています。
昭和40~50年代には、ロボットスター君・ライト君、透明人間の部屋など、子ども達にも人気の展示も数多くありました。

5.電気科学館の閉館、新科学館へ

昭和の終わりごろ、大阪市制100周年を記念して関西電力株式会社が科学技術館(仮称)を建設し、大阪市に寄贈されることになりました。現在の大阪市立科学館です。それに伴い電気科学館は閉館となり、その活動は新科学館に引き継がれることになりました。
そして1989(平成元)年5月31日、電気科学館は52年の歴史に幕を閉じました。52年間に訪れた入館者は、電気館が8,116,309人、天象館(プラネタリウム)が11,051,762人でした。
現在、電気科学館で使われていたカールツァイスⅡ型プラネタリウムなどの資料は、大阪市立科学館に引き継がれています。