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プレスリリース

2007年3月12日

大阪市立科学館で大阪市立電気科学館開館70周年 記念事業を開催 ~3月13日で電気科学館開館70周年~

平成19年3月13日。日本初の科学館でありプラネタリウム館である大阪市立電気科学館(以下電気科学館。平成元年閉館。)が開館して70 周年を迎えます。後継施設である大阪市立科学館は平成19年中、これを記念し電気科学館に関連する写真、映像、録音テープ等の資料の収集や展示、手記の募 集、シンポジウムや記念特別プラネタリウムの投影など、電気科学館を当時来館された方と共に顕彰する事業を行ってまいります。
今回は、電気科学館に関する写真や映像、思い出を綴った手記を平成19年7月31日まで郵送か電子メールで募集いたします。

電気科学館は、昭和12年(1937年)3月13日、大阪市西区の四ツ橋交差点角に開館しました。日本で初めて「科学館」を提唱し名乗った施設であり、東洋初のプラネタリウム公開施設でもあります。

昭和12年の開館当初の電気科学館

昭和12年の開館当初の
電気科学館


平成元年5月31日の閉館まで1906万7216人が入館し「科学の殿堂」として活用されました。電気科学館に深い感銘を受けた人は多く、科学者・ 技術者 はもとより、手塚治虫、織田作之助といった大阪を代表する著名人もファンでした。なにより多くの市民が、閉館から18年を経たいまでも、電気科学館で過ご した日を楽しそうに話されます。

大阪市立科学館は、電気科学館を後継する施設として、当時10歳の少年少女だった方が80歳を迎える現在から平成19年度にかけ、電気科学館の草創期から閉館までの事業を、市民の思い出とともに顕彰する下記の記念事業を行ってまいります。

昭和29年ごろ。修学旅行生が連日押し寄せていた
昭和29年ごろ。修学旅行生が連日押し寄せていた
1. 写真、映像、録音テープ、出版物の収集事業ならびに手記の募集
2. 展示事業・ホームページでの公開などの電子出版
3. 集会の開催
電気科学館を顕彰する記念シンポジウムを開催。全国科学博物館協議会(加盟240館)の平成19年度総会を大阪に誘致。
4. 記念特別プラネタリウムの実施
 

記念事業について
写真、映像、録音テープ、出版物等の収集事業
電気科学館に関連する写真、映像、録音テープ等の資料を収集します。また、個人のスナップ写真、雑誌や新聞記事のスクラップ、パンフレットや広告などの提供を広く市民によびかけてまいります。
手記の募集
電気科学館の思い出の手記の提供を広く市民によびかけてまいります。
 

市民への写真、映像、手記などの募集要項
(1)写真など 建物外観、内部、見学に行った時の記念写真等、電気科学館や見学者のようすがわかるようなもの。

写真の形式:デジタル化されたもの、プリント
映像 : デジタル化されたもの、8ミリ、16ミリフィルム、VHS等ビデオ
注意 : 原則としてお送り戴いた写真は返却いたしません。返送ご希望の際はその旨をお書き添え下さい。お送り戴いた写真はデジタル化し、当科学館の写真ライブラリーの資料とし、活用させていただきます。
(2)手記 電気科学館にまつわる思い出をお書きください。

原稿の形式 : パソコンで読めるテキスト文書、WORD文書、一太郎文書など、原稿用紙、便箋等に書いたものか、印字したもの
映像 : お送り戴いた原稿は返却いたしません。お送り戴いた文章は文集に収録することがあります。
(3)送付先 郵送:〒530-0005 大阪市北区中之島4-2-1 大阪市立科学館 思い出係
電子メール:omoide@sci-museum.jp
(4)締め切り 平成19年(2007年)7月31日(消印有効)
 

展示事業・ホームページでの公開などの電子出版
収集した資料ならびに手記を大阪市立科学館で展示し、またホームページでの公開など行う予定です。
・写真展を秋に開催する予定です。ご応募戴いた写真を中心に構成する予定です。
・写真集、文集は平成20年(2008年)3月の発行を予定しています。希望者には有料頒布致します。
集会の開催
電気科学館を顕彰する記念シンポジウムを開催します。平成20年2月を予定。詳細が決まり次第お知らせします。
全国科学博物館協議会(加盟240館)の平成19年度総会を大阪に誘致します。毎年2回、6月と3月に総会・理事会を行い、3月には研究発表大会が行われます。今回誘致するのは、3月の総会・理事会、研究発表大会です。毎回全国から100名程度が出席します。
記念特別プラネタリウム投影の実施
平成19年末または平成20年初に予定しています。電気科学館当時の投影解説を、当時の記録に基づいて再現するなど、電気科学館の足跡をふりかえります。詳細が決まり次第お知らせします。

資料
大阪市立電気科学館について(沿革)
電気科学館は、昭和12年(1937年)3月13日に、大阪市西区新町の四ツ橋交差点の北東角に開館しました。地上 8階、地下1階。屋上にプラネタリウムドーム、塔屋を備えた鉄筋コンクリート作りの建築物は地域のランドマークでもあり、四ツ橋の電館(よつばしのでんか ん)」として親しまれました。 

開館当初の展示場。X線の実験装置等
開館当初の展示場。X線の実験装置等
大阪市電気局(現・関西電力株式会社および大阪市交通局)の電灯市営10周年を記念事業で、電気知識の普及と電気供給事業の促進を目的とした展示施 設でし た。当時先端の電気応用製品をズラリと展示し、さらに東洋ではじめてプラネタリウムが導入され、大変な人気を博しました。観覧料は展示場にあたる電気館が 大人20銭、プラネタリウムにあたる天象館が40銭でした。

戦争中も公開を続けていましたが、空襲などが激しくなり設備や備品も被害を受け、避難民の受け入れをするなどしていたため昭和20年5月に休館しました。
戦後は、昭和21年2月21日にプラネタリウムを再開、昭和23年10月に展示場も再開しました。そして、昭和32年までは国内唯一のプラネタリウムで あったこともあり、また修学旅行の指定先となったこともあって大変な人気で、昭和30年には年間入館者数68万2248人を記録します。
その後、数次の展示改装を行い「ロボット・スター君」や「透明人間の部屋」といった展示が人気を博し、各種教室や天文講座なども活発に行い、年間40万人前後の利用がある人気施設でした。 

平成元年 閉館の日の記念写真
平成元年 閉館の日の記念写真
しかし、施設老朽化と市政100周年を記念した新しい科学館(大阪市立科学館)の建設計画が持ち上がり、平成元年(1989年)5月31日に閉館することとなりました。最終的には1906万7216人の方が入館されました。

なお、建物はその後も大阪市立中央図書館の仮館として利用されましたが、平成10年に取り壊され、現在は同敷地に大阪市交通局が所有する多目的ビル のホワ イトドームプラザが建っています。このビルは上部にドーム状の飾りがあるなど、建築家によって電気科学館があった都市の記憶を継承するデザインとされてい ます。
また、電気科学館の資料の一部や、プラネタリウム機器、職員などは、平成元年10月7日に、関西電力の寄付により開館した大阪市立科学館に移管され、現在に至ります。プラネタリウムは平成12年12月に大阪市の指定文化財となっています。
 

電気科学館の2つの日本初
1.日本初の科学館
電 気科学館は、多数の展示を公開したという点で博物館的施設でした。しかし、歴史的な資料を展示公開しないということで科学博物館といわず、日本で初めて 「科学館」を名乗った施設でもあります。同様の考え方は欧米でもあり、科学博物館に相当するのは Science Museum、科学館に相当するものは、Science Center と明確に分けています。現在、日本最大の科学館組織である、全国科学博物館協議会(本部:国立科学博物館)には240館が加盟し、科学館という言葉は一般 名詞的に使われるようになっています。なお、大阪市立科学館は科学館と名乗っていますが、歴史資料を集めて調査、展示を行っており、科学博物館としての活 動も行っております。
 

2.日本初のプラネタリウム
電気科学館は、日本で初めてプラネタリウムを導入した施設です。日本だけではなく東洋でも 初めてでした。電気科学館の翌年の昭和13年には、東京・銀座に国内2つ目のプラネタリウムを備えた東日天文館が開館しますが、戦災により昭和20年に失 われたため、昭和32年、東京・渋谷に五島プラネタリウムが開館するまで国内唯一のプラネタリウムでもありました。 

プラネタリウム案内
プラネタリウム案内
一方、電気科学館は世界的なプラネタリウムメーカーを誕生させています。電気科学館のプラネタリウムに興味を持った町の発明家の信岡正典氏は、電気 科学館 の職員の助言も得ながらプラネタリウムを昭和33年に製作、これは甲子園の阪神パークに出展されました。この信岡氏に技術支援を行い、後に事業化したのが 千代田光学(後のミノルタカメラ、現コニカミノルタ)であり、現在では海外に輸出を行うほどのプラネタリウムメーカー、コニカミノルタプラネタリウム株式 会社(本社:大阪市西区)となっています。世界的に見てもプラネタリウムの製造を行えるメーカーは数社しかありません。
現在は、国内にはおよそ350のプラネタリウム施設があります。これはアメリカに次いで世界2位であり、プラネタリウムの発明国のドイツをしのぐ数となっ ています。また国内で使用されているプラネタリウムはコニカミノルタプラネタリウム株式会社が製造しているものなど、ほとんどが国産です。
電気科学館育ちの科学者・技術者
電気科学館で科学のおもしろさに目覚め、また展示や講座などを通して育った科学者・技術者は多数にのぼります。大阪大学名誉教授で元日本原子力学会会長 の住田健二氏もその一人で、電気科学館で過ごした少年時代がいまの自分を作ったと述べています。氏は、現在、大阪市立科学館を運営する財団法人大阪科学振 興協会の理事として、未来の住田少年を育てるために尽力しています。

手塚治虫と電気科学館
漫画家でありアニメ作家として著名な手塚治虫氏(1928年~1989年)は、宝塚に住む小学生のころ大阪の友人の石原実氏(現・石原時計店社長)とつれだって開館したばかりの電気科学館に来ていました。 

開館50周年記念講演をする手塚治虫氏
開館50周年記念講演をする手塚治虫氏
演題が変わるたびに毎月プラネタリウムへ通い、刺激をうけて、星図を見ながら家の石鹸箱に穴をあけその中に裸電球入れてプラネタリウムを作成。家族 を暗く した部屋に引き入れて、自らプラネタリウムで星空解説をしたそうです。また、学生時代には戦後貴重になった映画の公開施設として電気科学館に通い、晩年に 近い1987年には、電気科学館50周年記念の講演会で登壇し、これら電気科学館の思い出を語っています。
織田作之助と電気科学館
夫婦善哉で広く知られる風俗作家のオダサクこと織田作之助(1913年~1947年)もまた、電気科学館のファンでした。オダサクの小品「星の劇場」に は次のように書かれています。「・・・戦地の友人から便りがあったので、周章てて四ツ橋畔の電気科学館へ行き、六階星の劇場ではじめてのプラネタリウムを 見た。感激した。陶酔した。実に良かった、といふより外はない・・・」。氏の長編「わが町」には、このプラネタリウムが登場します。後に川島雄三監督によ り映画となった「わが町」では、実際に電気科学館でロケが行われています。

全国科学博物館協議会 http://www.kahaku.go.jp/jcsm/
本部は国立科学博物館(東京・上野)。自然史及び理工系の科学博物館、自然史及び理工部門をもつ総合博物館、科学館、動物園、水族館、植物園、プラネタリウム等など240の施設が参画。1967年に結成された日本最大の科学博物館の組織。
毎年2回、6月と3月に総会・理事会を行い、3月には研究発表大会が行われます。今回誘致するのは、3月の総会・理事会、研究発表大会です。毎回全国から100名程度が出席します。

大阪市立科学館

名  称
大阪市立科学館
英語名称
Osaka Science Museum
概要
「宇宙とエネルギー」をテーマにする科学博物館 平成元年10月開館
200点の資料や体験型展示を公開する展示場、世界最大級のプラネタリウムホールで プラネタリウムとオムニマックス映画を毎日公開
住所
〒530-0005 大阪市北区中之島4丁目2番1号
<地下鉄四つ橋線・肥後橋駅から西へ500m>
電話
06-6444-5656
ファックス
06-6444-5657
URL
http: //www.sci-museum.jp/ (パソコン・携帯電話両用)
開館
開館時間 午前9時30分~午後4時45分
休館日:月曜・祝日の翌日(土日祝は開館)
観覧料金

大人 高校・大学生 中学生以下
展示場
400円 300円 無料
プラネタリウム
600円 450円 300円
オムニマックス映画
600円 450円 300円

※団体( 30 人以上)は各 2 割引