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スタッフだより

科学館で働くスタッフを紹介します

科学館ってどんなところ? どんな人たちが働いているの? などなど、いろいろな角度から大阪市立科学館をご紹介します。

第138回 プラネタリウム「星空歴史秘話」

2019年9月14日

今回のスタッフだよりは、プラネタリウム「星空歴史秘話」の企画を担当した江越学芸員に話を聞きました。


星座はいつからあったのでしょうか。

 昔から人々は夜ごと空を見上げ、星の動きを観測して、天体についての深い知識を蓄えてきました。それは、生活のためでもありました。農耕や狩猟といった生活を営むためには、季節の変化を知ることが必要になります。
 季節の変化は太陽の動きによっておこります。そのため、太陽の通り道にある12星座は、星占いを通じて現代人にもなじみ深いものになっています。
 星座のふるさとは、古代文明の発祥地であるメソポタミアであると言われています。古代メソポタミアでは、「境界石」と呼ばれる石碑がありました。ここに描かれている図が、現在私たちが使っている星座の元であると考えられています。
 古代メソポタミア人が考え出した星座はやがてギリシアに伝えられ、現在のギリシア神話へとつながっています。


日本でも星座は作られていたのでしょうか。

 日本では、西洋の星座とは独立に発達した中国の星座が使われていました。中国の星座は西洋の星座よりもずっと数が多く、273個もあります。
 中国星座の特徴として、北極星を天の皇帝とし、星座が地上の社会身分制度をそのまま反映していることが挙げられます。
 そして星空で起こる現象は、天からのメッセージと考えられていました。そこで古くから日本には陰陽寮という役所が置かれ、天の意思を知るための天体観測が行われていました。星の動きを絶えず観測して、将来を予測したり、あるいは悪いことが起こるのを防ごうとしたりしたのです。陰陽師で有名な安倍晴明は、この陰陽寮の役人でした。
 わが国初の歴史書である日本書紀に、既に陰陽寮に関して記載があり、古くから多くの観測記録が残されています。





どんな記録が残っているのでしょうか

 かつて都がおかれていた平安京が、闇につつまれたことがあります。天延三年(975年)七月一日、京都で皆既日食が起こったのです。平安時代の日本紀略という歴史書には、この日、太陽が墨色になって光が失われた、そして鳥の群れが乱れ飛び、多くの星がことごとく見えた、と記載されています。驚いた政府は大赦を発布し、通常は対象にならない死罪までも減刑されたということです。
 太陽が欠ける日食は、特に昔の人々にとっては怖れおののきの対象で、何かの前触れだと考えられていたのです。他にも多くの日食に関する記録が歴史書に残されています。
 実はこうした昔の食の記録は、現在の天文学の研究にも生かされています。かつて日食が起こったことが記録されている場所は、計算上日食が起こったとされる場所と差があり、そこから地球の自転速度がわずかに変化していることを知ることができるのです。


他にはどんな出来事があったのでしょうか。

 藤原定家の日記「明月記」には、超新星の記録が残っています。天喜二年(1054年)、おうし座に木星ほどの明るさの星が現れた、と書かれています。
 同じ場所を現在観測すると、「かに星雲」として知られる雲のような天体が見つかります。これは星が爆発した跡で、超新星残骸と呼ばれます。
 超新星は非常に珍しい現象で、肉眼で見える超新星は、だいたい100年に1度ぐらいしか現れません。明月記には、この超新星が現れた時の記録が残っているわけです。
 この超新星は、1000年の時を経た今も宇宙空間を広がりつつあります。そして現在では、最新の望遠鏡を使って観測が続けられています。







最後にひとこと

江越航学芸員

今回のプラネタリウム番組は、過去の星空の歴史に注目しています。
遥か昔から、人々は星空を見つめてきました。この観測の積み重ねは、星空が長い間にどう変化するかを知る手掛かりとなり、現在の天文学にも生かされています。
宇宙の仕組みを解き明かすことは、人類の果てしのない営みです。人々がどのように宇宙に関わってきたのか、感じていただけたらと思います。


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