第53回 電気科学館の思い出
2012年3月1日
電気科学館をご存じでしょうか? 平成元年(1989年)に閉館しましたので、噂でしか知らないという方も多いことでしょう。電気科学館が開館したのは昭和12年3月13日。1937年のことですから、この3月でちょうど75年。今回は電気科学館に在職していた加藤賢一館長に「電気科学館」について話を聞きました。日本で最初の科学館だったそうですね?
国内で科学館を名乗ったのは電気科学館が最初だったと思います。歴史的なものはあまり扱わず、電気の原理やすごさ、最新の電化製品などを紹介し、多くの方に電気の知識を得ていただこうと考え、電気「博物館」ではなく、電気「科学館」と名づけたそうです。今では全国に科学館がありますが、その最初が大阪だったというのはすごいですね。それから、電気科学館にはドイツから輸入したプラネタリウムが設置されましたが、これも日本初でした。
プラネタリムは大変高価で、当時の電気局(現在の交通局)は商社に借金して購入し、分割払いしたそうです。

どのような展示品がありましたか?
電気のすごさを訴えようというので、まだ開発途上の商品化されていないものがたくさんあったようです。レーダーやテレビ(一般化したのは1960年代)、ファックス(一般化したのは1980年代)などです。ドイツからたくさん輸入しましたし、怪しげなものも並んでいたようです。


どんなプラネタリウムだったのでしょうか?
解説者が語りかけるというスタイルで、これは現在と変わりません。ただ、当時の星像は降る雪のように丸く大きく、現在のようなきれいな星ではありませんでした。また、当時の音源は円盤型のレコードで、音楽係がレコードのある決まった所に音を拾うピックアップを降ろせば曲が聞こえてくるというシステムでした。映像もせいぜい静止画が1枚出るだけでしたが、これでもアメリカのグリフィス天文台プラネタリウムの演出をとり入れた結果で、当時としては派手な演出でした。ヨーロッパでは音楽も映像もなかったそうです。
翌昭和13年には東京にもプラネタリウムができますが、大阪から指導に行った関係からでしょうか、同じようなスタイルになり、それが現在にも引き継がれています。
私は昭和49年(1974年)から閉館する平成元年(1989年)までこのプラネタリウムで星の解説を行っていました。現在のプラネタリウムがジェット機とすると、これは自転車といったところで、性能はたいしたことはありませんが、自在に操ることができました。


70年記念誌がありますね?

なお、この「電気科学館70年記念誌」は科学館のショップで販売しています。1冊1,000円です。通信販売もしていますので、このホームページのショップのコーナーをご覧になってください。
最後にひとこと

加藤館長